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【異母きょうだいが同じ学年にいたら...】『夜のピクニック』感想

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高校生の頃は、走るのがあんまり好きじゃなかった気がします。特に授業中で走らされたりするのは、今思い返せば苦痛でしかなかったなぁと。

逆に部活で走るのは好きでした。厳しい部活動ではなかったし、自由に走ることができたので、「走らされている感覚」は当時ありませんでしたから。

 

今日読んだ本は、恩田陸先生の『夜のピクニック』

高校生たちがひたすら歩く行事「歩行祭」で、各々の想いを語り合うという物語です。

 

 

内容紹介

高校生活最後を飾るイベント「歩行祭」。それは全校生徒が夜を徹して80キロ歩き通すという、北高の伝統行事だった。甲田貴子は密かな誓いを胸に抱いて、歩行祭にのぞんだ。三年間、誰にも言えなかった秘密を清算するために――。学校生活の思い出や卒業後の夢など語らいつつ、親友たちと歩きながらも、貴子だけは、小さな賭けに胸を焦がしていた。本屋大賞を受賞した永遠の青春小説。

 

著者について

恩田/陸
1964(昭和39)年、宮城県生れ。早稲田大学卒。’92(平成4)年、日本ファンタジーノベル大賞の最終候補作となった『六番目の小夜子』でデビュー。2005年『夜のピクニック』で吉川英治文学新人賞、本屋大賞を、’06年『ユージニア』で日本推理作家協会賞をそれぞれ受賞した。ホラー、SF、ミステリーなど、さまざまなタイプの小説で才能を発揮している。

 

もし異母きょうだいが同じ学校にいたら

西脇融と、甲田貴子が異母きょうだいであることを知っている人はほとんどいない。教師も知らないし、親戚だって知らない人がいるくらいだ。

 

主人公である西脇融と甲田貴子は父親が同じ異母きょうだいである。

運命の悪戯か二人は同じ学校に共に進学することになる。互いにきょうだいであることを強く意識ししつつも、同じ学校であるにも関わらず一度も会話を交わすことなく三年間を終えようとします。それは複雑な家庭環境を周りに知られないための、(互いの)暗黙のルールのようなものでした。

 

 

学校の伝統行事で「歩行祭」と呼ばれる、全校生徒が80kmの道のりをただひたすら歩くという行事がありました。

高校生活最後の歩行祭で、貴子はあるひとつの賭けに出ます。

その賭けとは、ずばり異母きょうだいである融に話掛けて、そして返事をもらうこと。ただそれだけのことでした。

 

許せなかった男、許せた女

貴子のことをまるで目の敵のように避けていた融でしたが、それには理由がありました。

 

何度も繰り返し出て来るのは、やはり父の葬儀に現れた甲田親子のことだ。

それまで、漠然としたイメージでしかなかった親子を目の当たりにするのはインパクトがあった。

二人が目に飛び込んできた時のショックは、今でもよく思い出せる。

不快だった。どうしようもないくらい不快だった。平気な顔をしている親子が腹立たしかった。融は目を逸らそうともせずに、親子を見つめていた。

しかし、これまであえて認めてこなかったが、融の感じた本当の不快さは、実は他のところにあったのである。

甲田親子は、カッコよかったのだ。

黒いスーツをびしっと着こなした母親は風格があって凛としていたし、制服姿の娘はとても落ち着いていて聡明さが顔に顕れていた。それに比べて、打ちひしがれた遺族である自分たち親子は、どこかうら寂しく惨めに思えた。あの瞬間、自分の母親に引け目を感じたことが彼にとっては屈辱的で不快だったのである。

 

西脇家は加害者として、甲田家は被害者として。

融の頭の中ではそのイメージがこびりついて離れなかったのでしょう。

 

二つの家庭にあまり差がないことが融を苦しめていた。

 

同じ父親を持ち、同じような家庭環境で育ったからこそ、相手を認めたくない強い気持ちが融にはありました。

一方で貴子にはそのような気持ちがあまりなく、むしろ融に「話しかけたい」とすら思い気持ちがありました。

 

こうして許せる側と許せない側として、互いに距離を保ちつつ、三年間を過ごしてきたのです。

 

二人の距離感がたまらない

二人はお互いのことを強烈に意識して高校生活を過ごしてきました。それは学生の甘い恋愛などではなく、「血が繋がっている他人」という視えないレッテルを意識していたからです。

意識をしていても、話しかけたくても、話しかけられない。

頭の中でまとまらない気持ちがぐるぐる巡ります。

 

読んでいても二人の距離感がもどかしく、恋愛ではないのだけれど、「二人には幸せになってほしい!」と強く思いながら読み進めました。

 

 

 

大人になればある程度のことは理屈で考えられます。

「あの人はああだから、自分は好きだ(嫌いだ)」

「これはこうだから、絶対に無理(できる)」とか。

理屈で考えることができないのが、学生の頃だったかなぁと僕の思い出の中で考えてしまいます。

周りが「キモい」「うざい」と思った対象が、そっくり自分の意見としてなってしまったり、単純な時期だったと思います。

 

主人公の二人も、そのまま大人になってしまえば、「あのとき話していれば」と後悔してしまっていたのかもしれません。

二人の近づこうとする勇気が一番の見どころであり、物語の最大の山場だと思います。

 

とても不思議な作品でしたが、とても胸にくる作品でした。

それではまた!

 

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