走るとりドットコム

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

走るとりドットコム

書評&ランニングブログ...にしたい

【村上春樹のエッセイ本!】『職業としての小説家』感想

広告

ワードプレスに引っ越しました!新サイト『ハシルトリ』はこちら!!

今日は村上春樹先生の『騎士団長殺し』発売日でした。

よく足を運ぶ書店では、『騎士団長殺し』の1・2が大量に平積みされていました。東京の方では深夜0時に発売を解禁するなどのイベントを開催した書店もあったそうな。

そんなブームに乗っかって、今日読んだ本は『騎士団長殺し』...ではなく、『職業としての小説家』です。

 

 

 

 

内容紹介

いま、世界が渇望する稀有な作家──
村上春樹が考える、すべてのテーマが、ここにある。
自伝的なエピソードも豊かに、待望の長編エッセイが、遂に発刊!


目次

第一回 小説家は寛容な人種なのか

第二回 小説家になった頃

第三回 文学賞について

第四回 オリジナリティーについて

第五回 さて、何を書けばいいのか?

第六回 時間を味方につける──長編小説を書くこと

第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み

第八回 学校について

第九回 どんな人物を登場させようか?

第十回 誰のために書くのか?

第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア

第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出

あとがき

「MONKEY」大好評連載の<村上春樹私的講演録>に、
大幅な書き下ろし150枚を加え、
読書界待望の渾身の一冊、ついに発刊!

 

村上春樹二冊目!

先生の本を読んだのはこれで二冊目なのですが、一冊目が『走ることについて語るときに僕の語ること』でしたので、いまだエッセイしか読んだことがありません。前回『走ることに〜』を読んだときに思ったのが、自分の考えていることや感情を丁寧に表現する人だなということ。ランニングを日課にしている僕にとっては、引き込まれる内容だったし、何より文章が最高にうまいので、わりかし早く読み終えることができました。

 

ちなみに『羊をめぐる冒険(上)』は本棚にしっかりと「保管」されており、まだ読み終えておりません。それはまぁこの記事では話題にしないようにしましょう。

 

www.hashirutori.com

 

小説家の仕事とは

小説家がどのように生活をしているのか。どのような仕事をしているのか。

素人目線(読者かもしれない)からしてみれば、好きな時間に好きなように書き、本が売れれば印税でガッポリ。幸せな生活を送っていらっしゃって羨ましい。そんな生活がほわわんと頭上に浮かびます。もちろんそんな単純なことではないことは百も承知なのだけれど、どうしてもドラマやアニメのチープなイメージがこびりついてしまっている。

 

それをしっかり正してくれる、というよりは丁寧に「違うよ」と教えてくれるのが本作だと思います。

 

先生が小説家を目指したのは、ある日ふとしたきっかけで、原稿用紙に物語を書き連ねて講談社へ持ち込みました。そして素人同然だったにも関わらず、新人賞をとってしまったのです。

 

そのときに僕ははっと思ったのです。僕は間違いなく「群像」の新人賞をとるだろうと。そしてそのまま小説家になって、ある程度の成功を収めるだろうと。すごく厚かましいみたいですが、僕はなぜかそう確信しました。とてもありありと。それは論理的というよりは、ほとんど直観に近いものでした。

 

先生は最初から小説家を目指して生きてきたわけでは決してありませんでした。当時はジャズバーを経営しており、小説とはまったく関係のない仕事をしていました。結婚もされていて、家族の生活を守るために働かなければいけないという気持ちがあったそうです。

 

ただ昔から本を読むことが大好きだった。暇さえあれば本を読んでいたそうです。

 

学生だった頃もまさに本が友達で、本があったからこそ、孤独などは一切感じたことがなかったそうです。さらに本好きが度を増して、和訳されていない英語の本を原本で読んでいたそうで、のちに小説家としてだけでなく翻訳家としても仕事をするようになります。

 

ここで一つ思ったのが、何がきっかけで人生が変わるかわからないということです。

内容を読み進めると、村上春樹という人は決して「天才」ではないということがわかります。小説家として大成されたのは、ただ純粋に本が好きだったということと、ふとした瞬間に浮かんだ好奇心に迷いなく飛び込んだこと。様々な要因がヒモづいて「小説家としての村上春樹」が生まれたのです。

 

努力もされていたのでしょう。しかし何より、この本を読んでいると、文章を書くのが好きだという先生の熱意が伝わってきます。

 

小説家として生きるということは

誰も考えてもいないでしょうが、僕は小説家を志しているわけではありません。小説家の仕事内容を知り、目指そうと思っているわけではありません。

しかし小説家を目指す、目指さないに関わらず、生き方に悩んでいる人がいるならば、この本を手に取ることをおすすめします

 

それは小説で何かを表現するということは、「人生をどのように歩むのか」ということとあまりにも隣接しているからです。

 

考えてみれば、僕らは生きていく過程であまりに多くのものごとを抱え込んでしまっているようです。情報過多というか、荷物が多すぎるというか、与えられた細かい選択肢があまりに多すぎて、自己表現みたいなことをしようと試みるとき、それらのコンテンツがしばしばクラッシュを起こし、時としてエンジン・ストールみたいな状態に陥ってしまいます。そして身動きがとれなくなってしまう。とすれば、とりあえず必要のないコンテンツをゴミ箱に放り込んで、情報系統をすっきりさせてしまえば、頭の中はもっと自由に行き来できるようになるはずです。

 

楽しくもない、見たくもないSNSの情報に一喜一憂してしまってはいないだろうか。周りの評価を気にしすぎてはいないだろうか。

小説を書くことのみならず、人生においても情報過多は時に「害」にすらなりえます。

 

それでは、何がどうしても必要で、何がそれほど必要でないか、あるいはまったく不要であるかを、どのようにして見極めていけばいいのか?

これも自分自身の経験から言いますと、すごく単純な話ですが、「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」というのがひとつの基準になるだろうと思います。もしあなたが何か自分にとって重要だと思える行為に従事していて、もしそこに自然発生的な楽しさや喜びを見出すことができなければ、それをやりながら胸がわくわくしてこなければ、そこには何か間違ったもの、不調和なものがあるということになりそうです。そういうときはもう一度最初に戻って、楽しさを邪魔している余分な部分、不自然な要素を、片端から放り出していかなくてはなりません。

 

人生においても同じことが言えると思います。

あなたが(あるいは僕が)楽しい気持ちでいられるかどうか。とても重要なポイントです。今就いている職業が、自分にとって楽しくない職業だった場合、未来は薄暗く冷たい道になるでしょう。人生の半分が楽しくないとしたならば、もう一度道を見直すべきなのです。

 

これはあくまで僕の個人的な意見ですが、もしあなたが何かを自由に表現したいと望んでいるなら、「自分が何を求めているか?」というよりはむしろ「何かを求めていない自分とはそもそもどんなものか?」ということを、そのような姿を、頭の中でヴィジュアライズしてみるといいかもしれません。「自分が何を求めているか?」という問題を正面からまっすぐ追求していくと、話は避け難く重たくなります。そして多くの場合、話が重たくなればなるほど自由さは遠のき、フットワークが鈍くなります。フットワークが鈍くなれば、文章はその勢いを失っていきます。勢いのない文章は人をーーあるいは自分自身をもーー惹き付けることができません。

 

小説家として歩んできた先生が語る「職業としての小説家」は、いま現代人が求めている「生き方」なのかもしれません。

 

それではまた!

 

関連書籍