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書評&ランニングブログ...にしたい

朝日と夕日の違い【2017/2/1[10]】

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今日も今日とて朝5時に起きては、1月の振り返りと称してせっせとブログ運営記事を書いていた次第でございます。

1時間でブログ記事を書き終えてから、走ろうと決意をした時間が6時。朝の6時では辺りは真っ暗、までとは言わないが朝日はまだ出ていない。

 

こんな時間に走るのは久しぶりだなと、今まで走ってきた早朝ランの記憶を遡りながら出かけた。

気温は相変わらず骨にしみるぐらいに寒い。ウインドブレーカーも手袋も貫通して、(おそらく)ゼロ度の冷たさが全身を襲う。骨身にしみるというのは、新潟の冬を体験していれば嫌でも感じるだろう。もし感じたことがないのであれば、ぜひ新潟においでませ。最近ではNGT48とかで結構盛り上がりを見せている新潟です。

 

2kmぐらい走っていると徐々に体も慣れてくるもので、凍っていた体も解凍され、汗だってかくようになる。

 

朝の6時過ぎに走っていると日が昇る光景が拝める。

朝日を眺めながら走ると、どうしようもなく希望ばかりが溢れてくる。

 

「今日は仕事頑張ろう」

「とりあえず笑っていよう」

「自分のペースで進んでいこう」

「誰にもできないことを成し遂げよう」

「今日もいい日でありますように」

 

朝日の光を浴びながら走ることで、暗闇で走ってきた僕の心がたちまちに浄化されていくようだった。

朝日にどんな効果があるかは不明だが、少なくとも夜中に走っていた心境に比べれば、1.5倍は心持ちが軽く居られる。

 

 

朝日と夕日では感じるところがまったく違ってくる。

どうしてこうにも朝日に、人は感動を覚えてしまうんだろうか。

辛く苦しい日々が続いたとしても、朝は平等にやってきて、太陽は照らしてくれるわけだ。

逆に夕日を見ながら走っていると、どうしたって「終わり」を想像してしまう。

 

「俺はいったいこれからどうなるというのだ」

「今日もまた一日が終わろうとしている」

「明日は今日よりもいい日を送ることができるだろうか」

 

夕日の寂しさは子どもの頃に感じた寂しさを思い出させる。

 

自宅からちょっと離れた友達の家に遊びに行くことがあった。夕方には帰ってくるようにと、親からは門限を17時に設定されていた。

真面目に過ごしていた少年時代だったので、その言いつけを守り、夕方の17時に帰宅していた。

その頃見ていた夕日は、決まって近所のお墓を通り過ぎていたときに見ていた。少年時代の話だが、お墓はどこか不気味さを感じさせ、真っ赤な光に包まれて、寂しさを感じていたものだ。忍び寄る自分の影にびくつきながら、必死に走って帰宅した記憶はいまだ鮮明に残っているくらいだ。

 

だからなのか、やっぱり夕日よりも朝日の方が好きだ。

走行距離:10.00km/タイム:59:48/平均ペース:5′58″