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ブログ改変中!主に本・映画・ランニングのことを綴っていきます。

3000km走るだけの簡単な肉体改造

ランニング

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実録・1年3650km走るとどうなる。毎日10kmランを1年続けてみた。

0か100でしか生きられない。ミニマリズム思考を考える

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3000km

 

どうにもピンとこない数字だけど、これまで確実に走った距離である。

3000kmって言えば車のオイル交換の時期でもあるかな。

100m走を300本走る。あとは車で片道20kmかかる通勤路を75往復したことにもなる。

とにかく3000kmは自分で言うのもなんだけれども、すごい距離を走ったんだなと思う。

 

体力はついたのか

常人並みにちゃんと(?)疲れる。

3000km走ったとはいえ、朝になれば目覚めるし、夜になれば自然と眠たくなる。電車に乗り遅れそうになったとき、駅までダッシュしたのならしっかり息もあがる。

体力がついたのかと聞かれたのならば、しっかりと頷けるほど体力がついた自信はない。

体感的に言えば、走り始めた頃と今とでの差はないように思える。

 

体の変化

足の筋肉が発達しまくったけれど、それもある程度まで。

走る以外の運動は懸垂15回だけ。その他は一切やらないし、やりたいとは思わない。

だから腹筋なんて全然割れていないし、胸筋だってAカップマイナスくらい。ヒョロイ肉体に歯がゆい思いをしながらも、「俺は走ることが好きなんだ」と意地を張ってランニングに専念している。

ちなみに懸垂は最初は2回くらいしかできなかったけど、2ヶ月を過ぎた今では5回くらいできるようになった。やっぱり継続は力になるね。

 

走ることは生活の一部に

365日10kmランも181日を過ぎた。ここまでくれば十分に習慣の領域に達したと思う。残りの184日(1840km)も挫折することなく続ける自信もある。走ることは僕にとって特別な行為でもなんでもなくなってきた。

最近では「毎日走ってます」、と人に自慢したくなる衝動がだんだんなくなってきた。歯磨きを毎日することを誰にも自慢しないように、僕が毎日10km走ることは当然の行為であり、自慢できるようなものではない。

 

...って一度は人に言ってみたい。

 

手段が目的に変わるとき

憧れの人が毎日走っているから、その人に近づきたくて走り始めた。

走る目的は憧れの人に近づくため。そのために毎日走ることを手段としている。これは今でも変わらず心に決めていることである。

しかし、いつしか手段が当初の目的を超えて「もっと走りたい」「もっと走ることを広めたい」という目的に変化した。

体力作りは二の次だったし、憧れの人に近づくためならどれだけ苦しくても毎日やってこれた。

積み重ねてきたことを今度は誰かに分け与えたい。

感化されてくれたのか、最近では友達も走り始めたようだ。僕の身の回りでも少しずつランナーが増え始めてきたことは、単純に嬉しい。

 

3000km走るなんて普通だよ

3000kmなんて誰だって走れる。毎日少しだけ「頑張ってみる」を積み重ねるだけだ。

どんだけきつくても時間をかければ誰だって達成できる数字だ。そして走りきれば心も体も洗練される。無駄が削がれる。あるいは自分の中の無駄に気づくことができる。

 

走ることは本当に考えさせられる。自分の人生がこのままでいいのか、一歩ずつ足を踏む込むたびに軌道修正を迫られる。

その度に心臓の鼓動がスピードを速める。息が上がって苦しくなる。でも頭は考えることをやめない。

「苦しい」の先に何か光のようなものが見え始める。そのときが一番走っていてよかったなと思える。

何かを見つけるため、感じるためだったら、また3000km走ってみてもいいかなって本気で思える。

 

走ることは本当に、本当に素晴らしいことなんだよ。