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ブログ改変中!主に本・映画・ランニングのことを綴っていきます。

マラソンで得られる感動が深すぎる件について【新潟シティマラソン】

ランニング

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実録・1年3650km走るとどうなる。毎日10kmランを1年続けてみた。

0か100でしか生きられない。ミニマリズム思考を考える

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この日に賭けていた。今日は走る意味を考えながら走った。

 

新潟シティマラソンに出場してきた

大勢の声援を受けながら走り続けた。どこの誰かも分からない人と笑顔でハイタッチを交わしたり、普段感じることが出来ない温かさを感じることが出来た。30km辺りまではその無条件の愛に涙が出そうで、ぐっとこらえながら走った。マラソンは感受性が豊かになりすぎるよう。

ちなみにはじめの10kmまでは人が多すぎて前に進まない。僕はCブロックだったので、中間よりも少し後ろの方。はじめの1kmのペースが7分を過ぎた頃には「ヤベェ...」って思いました。

30kmからは自分との闘い

30km辺りからは自分のことに集中した。全身に激痛が走る。つらい、でも挫折するほどでは決してない。地元の応援団は帰りも応援してくれている。知らない自分に目を合わせて「頑張れ」と言ってくれた。また涙をこらえる。

40kmを過ぎた時点で足が前に進まず、腕を大きく振りながら走った。終わりのことだけをひたすらに考えて走っていた。もったいないなぁと今更ながら思う。行きも帰りも変わらずに声援を送ってくれる地元の人たちがいた。タイムや疲労ばかりに気を取られていては、そういった温かさに気づくことはできないのだ。
ラスト400mでは声援に気づくことができた。テントからもラン活の人が気づいて手を振ってくれた。パワーを取り戻し、最後の力を振り絞る。

タイムには満足している。足だけじゃなく、全身に激痛が走っている。満身創痍だ。今回のレースには走る魅力を感じたし、タイムにも満足している。でも、目指すところはもっと奥深いところにあると思っている。鍛えてタイムを縮める、走ることはそんな単純な行為ではない。

走ることの意味

ひとつ気づいたことがあって。走ることに何か特別な意味があると思っている人へ。走ることに意味はありません。意味はあくまで後付けです。最初から意味があるとすれば、せいぜい体力増加くらい。祈りなどといったスピリチュアル的なものに関しては、すべて本人次第。故に走る理由は人それぞれであっていい。僕の走る理由が、僕以外のことでもいいんだなと分かった上で、走れたこと。ちょっと意味不明かも知れませんが、意味は後付けってことに気づけたことが、今日の走りの収穫のひとつ。

純粋にランを楽しむ素晴らしさ

もっと深く走ることについて知りたいと思ったレースだった。声援で泣くとは思わなかったし、予想外のことばかりで走り終えた実感がない。ただただ人の温かさやこれからやらなければいけないことが少しだけ見えた気がする。

ランナーのみなさん、今日は本当にお疲れさまでした。
また明日から10kmランを続けるわけですが、もっと走ることの楽しさを広めて行けたらなって思ってます。まずはこのブログから。そして周囲の人たちにも広めていけたらなと思います。